2001年6月3日 日光2時間耐久レース

04.決勝日


 決勝日。
梅雨直前の超快晴。すごく暑くなりそうな予感がする。
STDSPEED及び梨本塾としての応援団は以下のとおり。
シャイン、ゆみ、アッキー、たま、あらり、トリノ、ふな、たつ、さち、ぺぺ、おーちゃん、知らない女の子四人、プラスなぜか梨母。
それぞれのチームにそれぞれサポートとして、サインマンやタイムキーパーをしてもらう。
さて日光というコースは土浦よりは高速だが、原チャリマシンと単車のタイム差はあまりない。メチャクチャに気合いの入ったNSR50のレコードが42秒後半(これは見ていても本当に速かった)、NSR250SP仕様のタイムも似たようなものだ。つまりアクセルを大きく開けていられる区間が少ないテクニカルコースである。
練習走行はわずか10分。それを半分に切って第1第2ライダーで走行する。
耐久にエントリーしている車種人種はバラバラだが、まさしくそれは草レースの雰囲気だ。鮮やかなタトゥーを彫ったカワサキ乗りやバリ伝系のCB750F、もちろん常勝マシンR1や9Rや12R、そして全日本のST600クラスに参加しているGSXR600を持ちこんだチームなど。
ダイちゃん以外、つまり梅島組ははじめて走るコース。わきち、カイはともかく、マンジ、ワタンベ、伊藤は明らかに戸惑っていた。ただ全体のレベルはけして高くなく、あくまで遊び然とした雰囲気なため見劣りするようなことはない。ただし、レースは勝たなければ意味がない。勝つためには、間違いなく足りない何かがあると、レーサーとして、また監督として直感する。
ちなみに交代予定はわきちマンジ組とカイわたんべ組が40分x3本、土方伊藤組は30分x4本という感じでいくことにした。2回ピットがレギュレーションで義務付けられている。ということは、勝ちを狙うならその2回で行うのが当然である。

スタートライダーはわきちゼッケン[4]、カイ[5]、ダイちゃん[14]、それぞれゼッケン順のルマン式グリッド。俺はカイのバイクを持っている係。
8耐で自分がよくやるように、おい、何回か走ってこいよ、とカイに告げ、スタートダッシュを練習させる。つまりグリッドまで走りこむルマン式スタートでは脚力がモノを言う。緊張に包まれたスタートシーンでは自分の足が固まってしまい、まったく動かないことが多い。このダッシュ練習を2〜3度やるだけで、心身ともにほぐれるものなのだ。
「ゼーハーゼーハーぜーはーぜーはー」
昨年悪性リンパ腫という深刻な病で死にかけたカイは、そのダッシュで体力不足をモロに露呈した。但し奇跡的にもヘラヘラと一命を取り留めたその運のよさといいかげんさは健在だ。混乱において重要なのは適度な緊張感と、あとはいいかげんさなのである。たぶんスタートはいけるはずだと、またまた直感する。