2001年6月3日 日光2時間耐久レース

11.残り20分


 残り20分。ついに[10]を見つけた。しかし、見つけた瞬間に転倒者が出てまたペースカーが導入される。ちなみにこれは赤旗(レース中断)にさせないための措置で、ペースカーにくっついて皆がゆっくり走っている間にオフィシャルがコース処理するというもの。 そのため結構な時間が消費される。残り時間が少ない。ペースカーのすぐ後ろに[10]、そこから俺までの間に6台ほどの周回遅れ。コースクリアになった瞬間にペースカーはどいて、周回遅れがいないクリアなコースをあの[10]は逃げるだろう。俺はあいつに追いつくまでに6台を処理しなければいけない。しかもその間はペースが落ちるからあいつとの距離は開いてしまう。時間も少ない。チャンスも非常に少ない。

コースクリア。ペースカーがどき、一斉に各車が全開になる。1コーナー突込みで3台を抜く。しかしまだ前に3台。そこから次のコーナーまでは狭くて抜けない。[10]が離れる。無理矢理2台をパスし、裏ストレートエンド突っ込みで1台をパス。[10]との差、約100メートル。また転倒者が出てペースカーが入ればチャンスはない。なんとしても早く追いつかなければ。
真後ろにつくまで2周を要した。このレース全体でのベストラップ、41秒4をマーク。しかし[10]のマシンが速く、ノーマルのF4で簡単に抜くことはできない。残り時間は10分もない。どうする?

最終コーナーで周回遅れに[10]と2台して絡んだ。[10]は焦り、早く前にでようとその周回遅れの真後ろにつけてアクセルをひねろうとする。しかしその周回遅れは [10]が思うよりもさらに遅く、結果的に開けたアクセルを閉じた。俺はそれを読んでいたため、若干前の2台と間を開けて最終コーナーに進入していた。
そのため、アクセルを開けるポイントが、2台よりも完全に早かった。

それまで離されるしかなかったホームストレート。[10]は周回遅れをパスするためインによる。 驚いた周回遅れはアウトにマシンを振る。そのさらにアウトにいた俺は行き場を失ったが、コースを仕切っているラインのさらに外側、雨流しの逆カントがついている部分を全開でかけぬけて、[10]と並んだ。迷うことなく1コーナーの飛び込みでアウトから[10]を抜き去った。さらにペースを上げて一気に引き離そうと試みる。すると……。

恐ろしいことにその[10]を抜いた周に転倒者が続出。(ここに伊藤も含まれた=怪我はなし)そこでペースカーが導入される。残り5分。実質的なレースが終了する。コースクリア後、たったワンラップでチェッカーとなったのだ。まさしくギリギリの勝負だったが、もちろんトップでそれをくぐりぬけた。
我ながら、奇跡的だったと思った。